禅とマインドフルネスとの比較(4)
4. 瞑想によるこころのあり方 -マインドフルネスと非思量-
マインドフルネス瞑想のこころのあり方は、「マインドフルネス(今この瞬間に注意を払う)」と、「アクセプタンス(生じた体験を回避せず受容する)」が重要なものとなります。つまり、注意制御をして今この瞬間の体験に意図的に・能動的に焦点を絞って観察し、気づいたことを明確にとらえてラベリングし、その体験に主観的な判断を下さず、距離を置いて客観的にとらえることです。そして、問題解決しようとコントロールしたり、回避したりしようせずに、ありのままの現実として受け入れることが重要になります。たとえば、嫌悪的な感情が生じてきたら、能動的にその感情に注意を向けます。嫌な感情が生じていると明確に言葉にします。注意は向けるが、その嫌な感情に巻き込まれないように、反応はしません。また、その感情が生じたことは悪いことであるといったような、善悪などの判断もしません。その感情を体験していることに対して距離を置いて客観的にとらえ、その感情を打ち消そうともせず、また避けようともせず、現実のものとして受け入れるのです。
坐禅瞑想のこころのあり方とは、『普勧坐禅儀』に「善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運轉を停め、念想観の測量を止め」とあります。これは「善悪や是非にとらわれない。心の働きをやめ、あれやこれやと考えるようなことはしない」ということです。善悪や是非の判断をしないという点で、マインドフルネスと共通しているように思えますが、客観的観察をするという意味ではなく、主観も客観もなくあれやこれやと考えるようなことはしないのです。さらにこの文には、先述した「作仏を図ること莫れ」が続いており、仏になろうとも考えてはならないのです。また、『坐禅儀』には「頭燃をはらふが如く坐禅を好むべし」とあります。これは「頭に火がついていたら、一心不乱に火を消すであろう。それと同じようにただただ坐禅を行う」という意味です。つまり、坐禅中はただただ坐禅に没入し、それ以外のことは何もしないのです。
『普勧坐禅儀』に「箇の不思量底を思量せよ。不思量底、如何が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり」とあります。これは「思量しない思量をする。思量しないことをどのように思量するのか。非思量である。これが坐禅の要術である」という意味です。思量とは、思いはかることを意味します。つまり、あれやこれやと考えないとは、何も考えないということではなく、日常的な知的思考・概念的思考が脱落した思量をすることなのです。すなわち、思量しない思量、非思量です。これは、自己や現実をありのままにとらえることではありますが、マインドフルネス瞑想とは異なり、感情や思考に対して、意識して客観的に距離を置く、明確にとらえる、言葉にするというといった知的思考とは全く異なるものとなります。
言葉・概念ということに関して少し言及しますと、禅語には「不立文字」というものがあります。禅においては、文字や言葉は伝承する手段として使用されていますが、文字や言葉による概念的思考・知的思考では禅の本質はとらえられないとしています。つまり、言葉による知的な理解にとらわれず、その知的思考を超えて、ありのままに感得するのが禅なのです。文字や言葉については、人間にとって伝達機能や象徴機能として非常に有効であることは確かです。伝達機能とは、会話などのコミュニケーションであり、象徴機能とは内的な認識・概念などの思考に用いられます。しかし、その有効性の反面、言葉にするということは、ありのままの現実のすべてを表すのは不可能であり、現実の中からごくわずかな一部分を抜き出しているに過ぎないとも言えます。また自己の中にある概念・言葉とは、現実とは関連性を持ちつつも、現実とは離れた過去の経験・記憶に依存しているとも言えます。たとえば、多義図形と呼ばれるものがあるのですが、これは物理的に同じ図形であっても、どこに注目するか、そして自分の内的な概念のいずれと結びつくのかによって、異なったものに見える図形のことです。つまり、同じものでも概念によって全く異なった別のものとして認識してしまうのです。
思考は、そのような概念や言葉によって規定されてしまいます。つまり、概念的思考にとらわれること(たとえば、思い込みなど)で、ありのままの現実から離れてしまうとも言えます。禅では、言葉や概念の有効性を認めつつも、その有効性には限界があることもまた認めているのです。したがって、その有限性のある言葉や概念にとらわれず、その思考を超えた思考をする。それが思量ではない思量、非思量なのです
(つづく)
体と心チーム 文学部 小室央允
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