駒澤大学に坐禅の授業を始めた澤木興道という人(4)
明治39年(1906)27才の時、日露戦争から生還した澤木(さわき)老師(以下、澤木)でしたが、激戦の最中、弾丸にあたって負傷していました。首筋から弾(たま)が口へ抜けて、舌がちぎれるという重症でした。奇跡的に命拾いして回復しますが、やはりその後、会話は滑舌が悪かったようです。
帰還した澤木は、僧侶に戻り、また猛烈に勉強を始めます。法隆寺の勧学院(※1)では6年にわたって唯識学(※2)を中心として、仏教の基礎的な勉強をしました。食べるということには無頓着で、とにかく暇さえあれば勉強という澤木は、無茶な勉強、栄養失調、睡眠不足で、30才そこそこで、その風貌は70才ほどに見られたといいます。しかし勧学院では最も年長ながら、最も元気が良く、皆から「おやじ、おやじ」と呼ばれて頼りにされました。
澤木は、若い頃から、喧嘩であろうと、食い合いや酒の飲み合いであろうと、他人との競争で負けたことはなく、勉強も同様、寝食を忘れてフラフラになるまで勉強したようです。夜を徹して勉強し、朝の5時から8時まで熟睡し、昼は学校で勉強。そんな生活でした。(しかし、後に澤木は、このような頑張りを、しょせん他人に負けたくないという競争心による頑張りにすぎなかったと反省しています。)
さて、「澤木老師といえば〝坐禅〟と〝お袈裟〟」と言われるほど、お袈裟にも造詣の深い方でありました。丹波の笛岡凌雲(ふえおかりょううん)師のもとで、笛岡が搭(か)けていた麻の木蘭(もくらん)色の針目の通った如法衣(※3)に接した澤木は、普通の僧侶が掛けているお袈裟とは違う衣に何かしら敬虔な気持ちになり、非常に引きつけられ、お袈裟への憧憬を起こすようになります。その後ある時、如法衣を身に纏う真言律宗の尼僧と出会い、慈雲尊者(※4)のお袈裟の研究をするようになりました。自ら「おれは袈裟宗だ」と称した澤木ですが、その功績の一つに、この如法衣を全国に広めたことがあげられます。
(つづく)
※1 勧学院(かんがくいん)…各宗派の大寺院で学舎を建てて宗学(それぞれの宗派の学問)を教えていたところ。
※2 唯識学(ゆいしきがく)…環境世界は唯だ識(主観)が造り出したものと説く仏教の一学説。
※3 如法衣(にょほうえ)…法に適ったお袈裟の意。糞掃衣(ふんぞうえ=穢れ捨てられた布を縫い合わせて作り壊色に染めた袈裟)ともいう。
※4 慈雲尊者(じうんそんじゃ)…1718~1805。江戸時代後期の真言宗の僧侶で、戒律を重視し、その中で袈裟の乱れを正した。
源流チーム 角田泰隆
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