禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(2)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
インドの他の宗教の坐禅と仏教の修行の坐禅とでは、形式は同じであるが、その内容は非常に異なる。
その相違点をあげると、第一に修行の目的が異なることである。インドの他の宗教においては、何のために坐禅の修行をするかといえば、それは天に生まれるためである。生天を目的として修行をするのがインド一般宗教者の共通の建て前である。
インドの社会は、釈尊の時代も今日に至るも、貧富の差が著しく、民衆の多くは極端に貧しい生活を余儀なくされていたから、彼らは現世の幸福を諦めて、来世の幸福を願ったのである。したがって、坐禅を修行すれば来世において天に生まれ、物質的な幸福が満たされると共に、超自然力を得ると考えられたのである。
しかるに釈尊によって、その修行に取り入れられた仏教の坐禅は、このような生天の目的のために修行するものではなかった。仏教においては天上界は迷いの世界として退けられたのである。
このような生天を目的とする禅は、nirvāna*1(ニルバーナ)を目的とする禅に高められたとき、はじめて仏教における修行となったのである。そこにインドの他の宗教の坐禅と仏教の坐禅との相違点がある。
インドの他の宗教の禅と仏教の禅との第二の相違点は、修行の性格が異なることである。インドの他の宗教の禅は苦行であるが、仏教の禅は苦行ではない。インドの他の宗教にあっては身体と精神を別々に考え、体を苦しめれば苦しめるほど精神は清められると考えたのであり、坐禅もそのための修行と考えた。したがって、仏教以外の禅修行者は苦行者であって、坐禅は精神を清めるために体を苦しめる苦行であるというのがインドの一般宗教の共通の考えであった。
(つづく)
*1…涅槃(ねはん)の原語。吹き消すという意味の言葉。煩悩の火を吹き消すことによって、苦悩のない状態に至ること。
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