禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(1)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
※この「禅の歴史」は元駒澤大学総長、鏡島元隆博士(1912-2001)が、約40年前に仏教学部において担当されていた科目「禅学概論」での講義を当時授業を聴講した現仏教学部教員が筆録したものであり、その第1章(第2章は「禅の思想」)にあたる部分です。約40年前の研究成果あり、その後の学術的研究の進展において修正すべき点もありますが、これまで曹洞宗に受け継がれてきた伝統的な禅宗史を要領よく概説されたものです。インドの釈尊から日本の曹洞宗に至る伝統的な禅の歴史を知っていただくために、鏡島元隆博士「禅学概論講義ノート」(第1章 禅の歴史)を、ほぼそのままのかたちで公開いたします。尚、便宜上、註を付し、漢字にふりがなを付けるなど若干手を加えてあります。
第一章 インドにおける禅
禅という言葉は、インドの俗語jhāna(ジャーナ)の最後の母音がおちてjhān(ジャーン)と発音されたものの音訳である。jhānaとは瞑想・沈思・専念と訳されるから、禅という言葉も瞑想・沈思・専念という意味である。 禅は今日では、仏教独自の修行と考えられているが、元来は仏教の修行に取り入れる以前から、インドにおいて一般に行われていた精神統一の方法である。 インドにおいては、非常に古い時代から森や木の下などにおいて、静かに坐って瞑想に耽ることが行われていたのである。したがって、後に禅宗独自の修行とされた結跏趺坐*1(けっかふざ)・半跏趺坐*2(はんかふざ)も、その起源は仏教の開祖釈尊にあるというよりも、さらに古くインド一般に行われていた修行法であって、釈尊はこれを仏教の修行に取り入れただけである。 インドのように一年中暑い国で、しかも三ヶ月も雨期の続く国においては、静かに坐って瞑想に耽ることは、その国に最も適した修行であったのである。 それではインド人は何のためにこのような禅の修行をしたかというと、それはインドでは今日においてもそうであるが、一般に苦しい生活を営んでいるのであって、インド人はこの生活の苦悩から解放されるためには絶対者と一つになるより他にないと古くから考えられており、この絶対者と一つになるための修行が禅(坐禅)*3であった。このような修行をインドではyoga(ヨーガ)といい、その修行を行なう人をyogin(ヨーギン)といい、その完成者をmuni(ムニ)と称した。 このヨ-ガの修行はインドのいずれの宗教においても行なわれたのであって、釈尊もインドの一般の宗教の修行の方法に従って禅を取り入れたのである。したがって、禅は元来、仏教独自の修行ではなく、インドの一般の宗教において古くから行なわれていた修行だったのである。
(つづく)
*1…両足を腿の上に置く脚の組み方。坐禅の手足の組み方に「吉祥坐」(きちじょうざ)と「降魔坐」(ごうまざ)がある。「吉祥坐」は手足ともに右が上であり、「降魔坐」は左が上である。インドでは右を神聖なものとし「吉祥坐」を組んだが、後の禅宗では「降魔坐」と変わった。 *2…片足だけを腿の上に置く脚の組み方。
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