COLUMN 源流 2018.03.30

駒澤大学に坐禅の授業を始めた澤木興道という人(1)

 駒澤大学に坐禅の授業を始めたのは、曹洞宗近代の傑僧、澤木興道老師(1880~1965)です。通称「宿なし興道」と称され、生涯、寺を持たず、全国各地を遊行して、道元禅師の只管打坐を行じ、生涯を尽くして坐禅の仏法を布教されました。

 澤木興道老師(以下、澤木と略す)は、明治13(1880)年、三重県津市に生まれました。生家は、人力車の部品の金具をつくる商売をしていましたが、5歳の時、母親を亡くし、8歳の時、父親を亡くし、縁あって三重県河芸郡の提灯屋の沢木文吉の養子となります。

 澤木が少年時代を過ごした界隈は、俗世の欲望の渦巻く世界であり、彼の家ではいつも博奕が開帳されているというようなありさまで、およそ諸悪の巣窟とも言える環境の中で澤木は少年期を過ごしました。しかし澤木は、あたかも泥中の蓮の如く、清らかな仏の道を歩もうと発心します。

 9歳の時、近所の宿の2階で急死者がありました。50ばかりの男が若い女性と一夜を過ごす中、突然脳卒中か何かで急死したのです。その界隈は大騒ぎとなり、その男の妻も駆けつけ、修羅場となりました。少年ながら、澤木はこの光景を見て「人間は内緒事はできんぞ」「いつ死ぬるかもわからない」「世界に何一つあてになるものはない」と強烈な無常を観じます。

 とにかく澤木の少年時代の生活環境は、この世の中の最悪の環境で、人格だの教育だのということとは縁もゆかりもないような所でしたが、不思議なことにそれが返って最上の教育環境となり、澤木を仏道へと導いたのです。

 少年澤木を清らかな世界へと導いたのが、隣の表具屋の息子でした。その一家は、人生の裏町に住居しながら、不思議なほど清らかな生活をしており、そこに遊びに行っては日本の歴史や中国の古典などさまざまな知識・教養を身につけます。そして「肩書きや金銭や食物や享楽のほかに人生の本当の世界がある」「世の中に金や名誉よりも大切なものがある」ことを知ったといいます。

 この頃、澤木は「勝手に好きなことでもやって、どんなに長生きしてもそれは意味がない。それはただ自分勝手なことをして生きたというだけで、本当に授かった命を生きたことにはならない。むしろ自分の要求を捨ててしまって、この身ぐるみ全部を他人のために使い尽くしていくのが本当だ。我々はいつ死ぬかわからぬが、要するに人のためになったというだけが人生の意味だ」と考え始めます。まさに道元禅師が説かれる「自未得度先度他」(自分のこと忘れて他人のために尽くす)という菩提心(さとりの心)を発こしたのです。

 ついに澤木は、明治29(1896)年の6月、永平寺へ向かって家を飛び出します。17歳の時です。永平寺を選んだのは、真宗の和尚さんの勧めもありましたが、遠くて不便だから容易に連れ戻される恐れがないということもあったようです。旅の支度は何もありません、ただ和尚さんから餞別にもらった米2升と金27銭だけをもって家を飛び出したのです。

 (つづく)

源流チーム 角田泰隆

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