禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(23)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
第9章 日本の禅
日本における禅宗は、臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)の三宗である。この中、臨済宗と曹洞宗は鎌倉時代、中国から我国に伝えられたものであり、黄檗宗は江戸時代、中国から伝えられたものである。日本の禅三宗は、それぞれ宗義と歴史を異にしているが、それぞれについての概要を述べてみよう。
第1節 臨済宗
日本に初めて臨済宗を伝えた人は、栄西(えいさい・ようさい、1141-1215)である。栄西は入宋して、臨済宗黄龍派(おうりゅうは)の禅を伝え、帰朝して後、京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺を開いた。
栄西の伝えた禅は、臨済宗黄龍派の禅であるが、その後、我国に伝えられた臨済宗はいずれも臨済宗楊岐派(ようぎは)であって、栄西の伝えた禅とは系統が異なるのである。栄西は京都及び鎌倉にあって活動したが、栄西以後の日本の臨済宗は京都と鎌倉に分かれて発展した。
鎌倉に臨済宗を伝えたのは帰化僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、1213-78)、無学祖元(むがくそげん、1226-86)であり、蘭渓は鎌倉に建長寺を開き、無学は円覚寺を開いた。これらの帰化僧は北条氏を初めとする鎌倉武士に対して禅の指導をした人として知られている。これに対し、京都を中心とする臨済宗は、我国から入宋した円爾弁円(えんにべんねん、聖一国師・東福寺開山、1202-1280)によって伝えられた。円爾は入宋して臨済宗楊岐派の禅を伝え、帰国して後に京都に東福寺を開いたのである。
このように日本の臨済宗は京都及び鎌倉を中心として発展したのであるが、しかし現今の我国の臨済宗の主流をなしているのは、この両派ではなくてそれとは別の系統の禅である。それは大応国師(南浦紹明〈なんぽじょうみょう〉、1277-1360)、大燈国師(宗峰妙超〈しゅうほうみょうちょう〉、1282-1337)、関山国師(関山慧玄〈かんざんえげん〉、1277-1360)のいわゆる応・燈・関の系統である。後世、この系統から江戸時代に白隠慧鶴(はくいんえかく、1685-1768)が生まれ、臨済宗を中興したので、今日の臨済宗は白隠禅によって代表される。
日本の臨済宗の特質は、ほとんど中国の宋代の禅をそのままに伝えた禅であって、日本禅としての特色は少ない。このことは日本の臨済宗が宗祖を中国の臨済に仰いでいることによっても理解できる。ただ、中国の宋代の禅宗の特色は、「不立文字、教外別伝」(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん)を大いに唱えたことであり、問答商量を大いに行なったことである。また、公案を大いに開いたことである。そのような宋代の禅宗の特色をうけて、日本の臨済宗は公案中心の禅であるところにその特色がある。
(つづく)
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