STUDY 源流 2020.08.24

禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(22)

鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より

 禅は元来、自分の中に具わっている「仏性」(ぶっしょう)を信じ、これを開き現わしていくことを目指した宗教であり、念仏は元来、自分の外の阿弥陀仏を信じ、これによって救われることを目指した宗教である。我が国においては、禅と念仏とは自力教、他力教として、別々の系統をなしているが、中国においては二つの系統は融合され、念仏禅という宗派が生まれたのである。したがって、念仏禅の立場からすれば、念仏は禅を妨げないのであり、禅は念仏を妨げないものと考えられたのである。
 このような念仏禅の流行は、唐・宋時代の禅から見れば、禅の大きな変化である。この念仏禅の歴史について考えると同じく念仏禅と言っても、これに観念(かんねん)の念仏と唱念(しょうねん)の念仏とが区別される。
 古い時代に行われた念仏は、観念の念仏であり、それが後に唱念の念仏に変わったのである。観念の念仏は古くから見られるのであって、すでに唐の時代の五祖弘忍(こうにん・ぐにん)門下の時代に念仏禅が行なわれている。弘忍自身が念仏に関係があったかどうかは明らかではないが、弘忍の門下からは、牛頭法持(ごずほうじ、635-702)とか資州智選(ししゅうちせん、609-702)という人が出て、いずれも念仏禅を唱えたのである。しかし、法持や智選の行なった念仏禅は、口で仏の名前を唱える唱念の念仏ではなくて、仏の姿を頭の中に思い浮かべて坐禅するという観念の念仏であるが、元から明へかけては阿弥陀仏の名前を唱えて坐禅するという唱念の念仏に変わったのである。
 このような唱念念仏の代表的な人としては明末に出た雲棲監宏(うんせいしゅこう、1535-1615)がよく知られている。雲棲は杭州の雲棲山に入って雲棲寺を興し、盛んに念仏禅を唱え、門弟1000人を集めたと伝えられる。我が国に黄檗宗(おうばくしゅう)を伝えた隠元隆洟(いんげんりゅうき、1592-1673)は、この雲棲の念仏禅を伝えたのである。
 このような念仏禅が、元明以後の中国においては、大いに流行したのである。したがって、日本の仏教史の上では、禅と念仏が並んで行なわれたのであるが、中国仏教史の上では禅と念仏が融合し、一宗となったのである。この点、禅だけあるいは念仏だけを純粋に伝えた日本仏教とは様子が異なるのである。

(つづく)

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