禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(19)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
第7章 看話禅と黙照禅
中国における禅宗は、唐末から五代にかけて、五家の分派を生ずるに至ったが、禅におけるこの分派は、その宗旨上の相違によるものではなく、それぞれの指導者の性格の相違による、指導上の手段の相違にすぎないものである。
しかし、一旦、分派が生まれると、ついに互いに対立し、抗争するに至ったのである。五家の中でも臨済と曹洞が最も有力であったために、五家における宗派の対立は臨済と曹洞との対立となった。臨済を看話禅(かんなぜん)といい、曹洞を黙照禅(もくしょうぜん)と呼んだから、臨済と曹洞との対立は、看話禅と黙照禅との対立となったのである。
看話禅は公案の工夫を禅の修行の中心とするもので、臨済に属する大慧宗杲(だいえそうこう、1089-1163)によって代表される。公案とは禅の悟りを直接端的に把えさせる方法として、古来の祖師によって行なわれた指導方法を類型化し、普遍化したものである。公案の材料は、祖師の事蹟の中から問題が上げられるものもあれば、経典の中から問題が取り入れられたものもある。
これに対し、黙照禅は公案の工夫を借りないで黙々として坐禅することの中に禅の悟りがあるとするもので、曹洞の宏智正覚(わんししょうがく、1091-1157)によって代表される。
したがって、看話禅と黙照禅との相違は、坐禅と公案とのいずれに重点を置くかに分かれるのである。看話禅は坐禅よりも公案の工夫を重んじ、黙照禅は公案よりも坐禅を重んじるのである。
(つづく)
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