禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(17)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
五家の時代は中国禅がその中国的特色を最もよく発揮したいわば禅の黄金時代であるが、五家時代における禅の特色をあげると、第一に五家の禅は経典や文字の権威から解放されたことである。禅における「不立文字、教外別伝」(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん)の旗印はすでに慧能によって掲げられたものであるが、これを最も強調したのは五家の時代の禅である。五家の禅では経典や文字の権威は捨てられて、経典や文字は〝月を指す指〟であるから、指を忘れて直接に月を観ることが強調されたのである。
五家の禅の第二の特色は、逆説的な問答が大いに流行したことである。五家時代以前においても、師と修行者との間の問答が行なわれていたが、それは筋道が通っていたものであった。しかし、この時代になると好んで逆説を用いることになった。つまり、木に竹を接ぐような問答が行なわれた。
例えば、青原がある僧に「如何是仏法大意」(如何なるか是れ仏法の大意)と聞いたところ、青原は「廬陵米、作麼価」(廬陵の米、作麼の価ぞ)と答えた。また趙州はある僧に「如何是祖師西来意」(如何なるか是れ祖師西来意)と問われて、「庭前柏樹子」(ていぜんのはくじゅし)と答えている。これはいずれも問と答の間に何らの関係も見い出されないものである。後世、訳の解らぬ問答を禅問答というが、五家の時代はこのような禅問答が大いに行なわれたのである。
五家の禅の第三の特色は、禅の教えを示すのに直接行動をもって示したことである。禅の指導者と学人の問答が、禅の教えを示すのに言語や文字の筋道を追わないことになると、言語文字をもって示すかわりに直接行動をもって示すようになる。したがって、五家の時代には、禅の指導者は禅の教えを身体の動作でもって示すことが多かった。禅ではこれを機関(きかん)というが、この時代には、禅の機関が最も流行した時代である。したがって、このような学人を指導する手段は、次第に巧妙になり、複雑となって、種々の機関が生まれることになった。のちに生まれた公案(こうあん)は、このような機関が集められて組織されたものである。このように、五家時代は禅が経典文字の権威から解放されて、自由活発に発揮された時代である。
(つづく)
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