禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(16)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
第6章 中国禅の分派
六祖慧能によって大成された中国禅は、その後ますます発展して、中国全土に広まるにいたった。これには二つの理由が考えられる。
第一は、慧能によって禅がインド仏教の域をまったく脱して完全に中国化したことである。達磨によって伝えられた禅は、仏教の中でも最も実際的な教えであったが、それでもインド的性格を抜け切らなかったのである。それが慧能によってまったくこれから抜け出して完全に中国化されたのである。これによって禅は中国の民衆の中に溶け込んで中国的特色を発揮することができたのである。
第二は、中国においては唐から五代へとかけて戦乱が相継いで起こり、仏教の経典は大部分失われるにいたった。これは経典に基礎を置く仏教の諸宗派にとっては致命的な打撃であったが、経典を拠り所としない禅にとってはかえって有利なことになったのである。
以上、二つの理由によって、六祖慧能以後の禅は中国仏教界をリ-ドするにいたり、この系統から多くの人物が生まれ出るにいたった。
六祖の門下では、南岳懐譲(なんがくえじょう、677-744)と青原行思(せいげんぎょうし、?-740)が最もすぐれていたが、南岳の下に馬祖道一(ばそどういつ、707-786)、青原の下に石頭希遷(せきとうきせん、700-790)が輩出するに及んで、馬祖は江西(こうぜい)にあって禅を広め、石頭は湖南(こなん)にあって禅を振るったために、天下の修行者は競って二人の下に参じ、禅は中国全土を風靡するにいたった。
後世、この二人の系統から臨済(りんざい)、曹洞(そうとう)、雲門(うんもん)、匠仰(いぎょう)、法眼(ほうげん)の五派が生まれ、五家(ごけ)と称されるにいたった。
(つづく)
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