STUDY 源流 2020.05.08

禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(12)

鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より

  四祖道信、五祖弘忍に至って、禅宗の生活様式がインド的な生活様式から中国的な生活様式へと一変したことは、禅宗の歴史において二つの点で重要な意義を持つ。一つはこれによって坐禅に対するインド的な考え方が中国的な考え方に変化する原因を開いたことである。達磨から三祖僧犧に至る禅は、坐禅の一行を中心とする立場であった。しかるに四祖道信、五祖弘忍に至って禅宗が集団生活を営むと、もはや坐禅の一行だけを重んずるわけにはいかなかった。禅宗の勤労生活も坐禅と同じように重視されなければならなかった。ここにおいてあらゆる勤労が坐禅と等しい意味を持つにいたったのである。このことは坐禅の意義が、あらゆる生活にまで広められたことである。中国の禅は生活禅であって、そこにインド禅と異なるものがあるといわれるが、そのような生活禅の立場は四祖道信、五祖弘忍の時代の集団生活に基づくものである。

 いま一つは禅宗の寺院において、禅宗独自の団体規則の基を開いたことである。四祖道信、五祖弘忍の時代、500人あるいは700人の僧が集団生活を営むにはそこに種々の団体規則が設けられなければならないのであって、禅宗ではこれを清規*1(しんぎ)という。清規は後になって成立したものであるが、しかし後に禅宗に清規が生まれたのは四祖道信、五祖弘忍が雙峰山において500人あるいは700人の僧を集めて集団生活をしたのがその基となっているのである。以上、二つの点で四祖道信、五祖弘忍が雙峰山において集団生活をしたことは禅宗の歴史において重要な意味をもつものである。

*1…清らかな大衆の規則の意。後に百丈懐海(ひゃくじょうえかい)により『百丈清規』が成立した。

(つづく)

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