禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(10)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
第4章 初期の禅宗
中国の禅宗は達磨(だるま)を初祖とするが、達磨の後を受けて二祖の位を嗣いだ者が慧可(えか)(487-593)である。達磨によって初めてインドから中国に伝えられた禅が中国に根を下ろし、全国に広まったのはその弟子に慧可を得たからである。
慧可は中国人であるが、インドから達磨が禅を伝えたことを聞いてはるばると達磨を尋ねて達磨に入門を求めたが達磨は容易にこれを許さなかった。そこで慧可はついに自ら左臂を切って道を求める熱意を示したので、ようやく達磨の許しを得られたと伝えられている。今日の禅宗では12月8日の釈尊の成道会*1(じょうどうえ)に続いて断臂会*2(だんぴえ)を行なう習わしであるが、これは慧可が左臂を切って道を求めたことによって禅が中国に広まることができた恩に報ずる行事である。
慧可に次いで三祖の位を嗣いだのは僧犧(そうさん、?-606)である。僧犧はその伝記が明らかではなく、歴史上その存在が疑われたこともあるが、今日ではその歴史的存在が認められている。僧犧は生涯、人を避けて世に隠れて道を行じた人であって、『信心銘』(しんじんめい)一篇がその著述とされている。
僧犧に次いで四祖の位を嗣いだのは、道信(どうしん、580-651)である。道信は蘄州(きしゅう)黄梅県(おうばいけん)の雙峰山(そうほうざん)の西山(せいざん)に住して門下500人を集めて盛んに禅を広めたと伝えられる。達磨から僧犧に至るまでの祖師は一ヶ所に定住しないで遊行の生活を続けたのであるが、それが一ヶ所に定住するようになったのは道信が最初である。
四祖道信に次いで五祖の位を嗣いだのは弘忍(こうにん〈ぐにん〉、602-675)である。弘忍が雙峰山の東山(とうざん)に道場を移し、700人の門下を擁して盛んに禅を広めたと伝えられる。道信にはその著述が伝わらないが、弘忍には『最上乗論』(さいじょうじょうろん、『修心論』)一篇の著述がある。
*1…釈尊が成道(さとりを得て仏になること)された日に行なう法要
*2…中国禅宗二祖慧可の故事を偲び12月9日に行われる坐禅を中心とした法要
(つづく)
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