禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(9)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
「二種入」(にしゅにゅう)はまた「二入四行」(ににゅうしぎょう)の説といわれる。「二種入(ニ入)」とは「理入」(りにゅう)と「行入」(ぎょうにゅう)の二つである。「四行」とは「行入」をさらに四つに分けたものである。「二入」のうち「理入」は真理に帰入する原理であり、 「行入」は真理に帰入する実践である。「行入」には四つある。
第一の「報怨行」(ほうおんぎょう)とは、自己を害することであっても過去の業の報いとして甘受して怨むことのないことであり、第二の「随縁行」(ずいえんぎょう)とは、これとは逆に他の人に賞賛されても縁にしたがって生じたものとしてこれに心を動かされないことであり、第三の「無所求行」(むしょぐぎょう)とは、物にも執着を離れて求めることのないことであり、第四の「称法行」(しょうぼうぎょう)とは、人間の本性が清らかであることを信じ、これにかなった行を実践することである。
この最後の「称法行」が積極的に具体的な宗教的実践を教えているのである。それは身体も生命も財産も投げ出して布施の行を実践すべきことを教えたものである。しかも自分がよいことをしているのだという意識さえも捨てなければならないと説いているのである。
このように「二種入」は今日、達磨の説として一般に認められているが、その説くところは大乗仏教一般の通説であって、この書の中には後世の禅宗の標語である「不立文字、教外別伝」(ふりゅうもんじ、 きょうげべつでん)あるいは「直指人心、見性成仏」(じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)という主張は見られない。しかも達磨は二祖慧可(えか)に求那跋陀羅訳『楞伽経』*1(りょうがきょう)(四巻本)を伝えているから、 達磨自身は経典を退けてはいないのである。
このように達磨の説である「二種入」に拠るかぎり、禅の特色は見られないのであるが、にもかかわらず達磨が後世禅宗の初祖として仰がれるのは、この「二種入」の教えに拠るのではなくその修行によるのである。達磨は「二種入」の方法として、壁観(へきかん)の坐禅を身を以て行なったのであるが、そこに達磨が後世禅宗の初祖と仰がれる理由がある。禅の教えの根本はこのような達磨の坐禅の実践から流れ出たものであって達磨の「二種入」の教えに基づくものではない。
*1…初祖達磨より二祖慧可に授けられてより、東山法門(とうざんほうもん、四祖道信と五祖弘忍の禅法)を経て北宗禅(ほくしゅうぜん、五祖弘忍の弟子の神秀門下の禅)に至って禅の伝灯の拠り所とされたもので、初期禅宗思想の形成に大きく影響を及ぼした大乗経典。
(つづく)
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