禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(7)
鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より
第三章 達磨の禅
インドから中国へ初めて禅を伝えたのは達磨(ダルマ)である(歴史上実在したダルマを指示する場合は 「達摩」と表記する)。達磨以前にも中国へ禅を伝えた人はないわけではないが、達磨以前に伝えられた禅は小乗禅であって、大乗禅は達磨によって初めて中国へ伝えられたのである。達磨は歴史上実在の人であるが、その伝記は伝説に包まれ、どこまでが史実であり、どこからが伝説であるか明らかでない。今日、歴史的に明らかにされたところでは、達磨は南インドの人であり、西紀520頃、海路中国へ渡った人である。達磨は北方の魏の国に赴いて洛陽の東の嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)で壁観*1(へきかん)の坐禅の修行をした。禅宗の伝承では、魏に赴く前に梁の武帝(ぶてい)と問答を交わしたとされるが、それは歴史的事実ではないとされる。
達磨によって伝えられた禅は、後にその思想が中国全土に広まり、中国仏教界を支配するようになったが、それには二つの理由が考えられる。一つは外的理由であり、一つは内的理由である。
外的理由は、儒教と老荘(道教)の教えが思想界をリードする二大思想であったが、達磨が来た当時の中国においては、儒教は力を失って老荘思想が勢力を得ていた。しかるに老荘思想は儒教とは異なり無為自然(むいじねん)を説く思想であって、仏教に説く「空」に近い思想である。それゆえに達磨が伝えた禅が「空」を説いても、それは当時の中国人にとっては受け入れやすい思想だったのである。このように老荘思想の流行によって、中国ではすでに禅を受け入れる態勢ができていたのであって、このような思想的基盤があったから禅は中国において広く南北に広まることができたのである。
第二の内的理由とは、達磨によって伝えられた禅は実際的な教えであって、それは中国人の国民性に適した教えであったことである。元来、インド人は思索的であり、中国人は実際的な国民であるといわれる。したがって、仏教がインド的な哲学的宗教のままで伝わったのでは中国の一般人まで広まることはできなかったのである。しかるに達磨によって伝えられた禅は、インドから伝えられたものでありながら、実際的なものであって中国人の国民性にあったものであった。以上、内外二つの理由によって、達磨の教えは中国全土に広まったのである。
*1…壁に向かって坐禅すること。 また、壁のように動じない不動の坐禅による観法のこと。
(つづく)
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