STUDY 源流 2020.03.24

禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(6)

鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より

 元来、戒律を守ることは仏教の目的ではなく、仏教の目的は智慧を得ることであり、戒律は智慧を得るための方法に過ぎないものであった。しかるに部派仏教(ぶはぶっきょう)は智慧を得るという肝心な目的を見失って戒律を守ることを重んじたのである。そこに部派仏教が大乗仏教(だいじょうぶっきょう)から小乗(しょうじょう)と蔑称された一つの理由がある。もう一つの理由は、部派仏教では自分の救いを先にして他の者の救いを後にしたからである。大乗仏教では自分は人々と同時に救われるのでなければならないとし、さらにいえば、自分が救われる以前に人々が救われなければならないとしたのである。これが大乗仏教の建て前である。これがために大乗仏教は、部派仏教を小乗とおとしめたのである。
 これがために大乗仏教では、小乗の坐禅に対し、大乗の坐禅を説くのである。すなわち、小乗の坐禅はまず自分が悟りを目指すものであるが、大乗の坐禅は自分と同時に人々の悟りを目指すものであり、さらにいえば自分が悟る前に人々が悟ることを目指すものである。
 以上述べたように禅は、その起源はインド古来の修行に基づいたものであるが、釈尊によって仏教の修行に取り入れられたものであり、取り入れられることによって、その内容が変えられたものである。さらに歴史的に仏教が展開するにともなって禅の内容も展開したのである。すなわち、インドの仏教は原始仏教、部派仏教、大乗仏教と展開したが、それにともなって仏教の修行である禅も、原始仏教的禅、部派仏教的禅、大乗仏教的禅として、その修行が内容的に展開したのである。後の中国の圭峰宗密(けいほうしゅうみつ、780-841)は禅を五種に分類して、外道禅、凡夫禅、小乗禅、大乗禅、最上乗禅と分けたが(『禅源諸詮集都序』)、宗密のいう最上乗禅は中国に来てから独自な展開を遂げたものであるから、大乗禅までがインドにおける禅の思想史的展開といえるのである。達磨(達摩、ダルマ)によってインドから中国へ伝えられた禅は、このような思想的展開をとげた大乗禅の立場である。

(つづく)

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