STUDY 源流 2020.03.23

禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(5)

鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より

 しかるに釈尊が入滅されてから100~150年経つと仏教教団は二派に分裂し、さらにこれより分派が生じ、ついに18部派に分かれるにいたった。この時代を部派仏教(ぶはぶっきょう)という。なぜにこのように分派が生じたかというと、釈尊滅後においては、もはや弟子たちは生きた釈尊を師として仰ぐことはできなかったから釈尊の定められた戒律に頼るほかなかった。しかし、この戒律を守っていく上において、釈尊の定められた戒律はどんなことがあっても文字通り厳しく守らなければならないという保守的な考えの者と、これを時代にしたがって多少緩めてもよいという進歩的な考えの者に分かれたのである。この進歩的な考え方の一派からさらに分派が生じ、これがいくつかに分かれてついに18部派に分かれるに至ったのである。これが部派仏教である。部派仏教は戒律中心の仏教であるが、同時にまた複雑な教理を組織した仏教であった。
 原始仏教では「涅槃」(ねはん)は誰でも現世において達することのできるものであったが、部派仏教になると「涅槃」は釈尊のような宗教的天才において初めて到達することができるものであって、普通の凡夫の修行によってはとうてい到達できない境地とされた。部派仏教では「涅槃」に至るには最小限度三生涯、長くは60劫*1(こう)を要するとされたのである。このように「涅槃」が理想化されると、「涅槃」に至る方法である坐禅もそれにともなって複雑となった。
 部派仏教では、坐禅は四禅八定*2(しぜんはちじょう)というように非常に複雑に組織された。しかるに仏滅後500年頃になると、仏教の在家信者の集団が次第に有力になってきて、そのうちに部派仏教の中の進歩的ー派を吸収してついに自分たちで教団を形成するにいたった。彼らは古い部派仏教を小乗(小さな乗り物)と貶め、自分たちを大乗(大きな乗り物)と称した。大乗仏教(だいじょうぶっきょう)が部派仏教を小乗仏教*3(しょうじょうぶっきょう)と貶めたのは、部派仏教があまりに戒律中心でありすぎたからである。

*1…梵語はkalpa(カルパ)、非常に永い時間のこと。
*2…色界(しきかい)の四禅定(初禅・第二禅・第三禅・第四禅)と無色界(むしきかい)の四禅定(空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定)を合わせて言う。
*3…今日では一般的には蔑称としてこの語は用いない。

(つづく)

ALL LIST