COLUMN 源流 2019.09.19

駒澤大学に坐禅の授業を始めた澤木興道という人( 6 )

 ある日、早朝3時から坐っていると、つい居眠りをしてしまった澤木(さわき)老師(以下、澤木)は、5時半頃、坐禅に来た信者の物音に目を覚まし、慌てて姿勢を正します。そんな自分の姿に「そんなことで澤木、どうするのだ。お前は人に見せるために坐っていたのか」と自らを叱り、反省します。「どこまでも自分の修行でなければならない。自分の修行に陰ひなたがあってはならない」と。

 何処にあっても、純粋にひたすら坐禅を行ずる澤木のもとには、その生き方に心を引かれ共感する人々が集まりました。全国各地、何処へでも行き、坐禅を指導しましたが、澤木が訪れるところ、そこに坐禅する人が集まり、自ずと叢林(修行道場) となったといわれます。誰ともなく澤木のことを「移動叢林」などとも呼びました。

 昭和10年、澤木は熊本から東京に移り、駒澤大学教授に就任することになります。澤木の学歴はと言えば、小学校を卒業しただけでした。澤木の当時、小学校は4年制で、澤木は6歳で入学したものの、8歳の時、父に逝かれ、その後9歳で1年生へ再入学し、13歳で小学校を卒業しました。学歴はそれだけでした。その澤木が突然大学教授に就任したのです。

 時の駒澤大学学長であった大森禅戒(※1)の強い招請によるものでした。澤木は辞退したようですが、大森によってお膳立てがすべて整えられてしまっていたといいます。現今では考えられないことですが、学歴など関係なく、必要な人物が必要とされ抜擢されたわけです。そして教授に就任した澤木は、正規の授業として駒澤大学で「坐禅」を行いたいと学長に交渉します。そして開講されたのが、今も駒澤大学で行われている「坐禅」の授業です。

 また昭和10年の秋、澤木は大本山總持寺貫首(※2)伊藤道海(※3)から、總持寺の後堂(ごどう、修行指導の責任者)を務めてほしいと請われます。澤木には後堂に就任できるような宗制(曹洞宗の規則)上の資格(学歴や僧歴)はありませんでしたので、その招請を辞退します。しかし、これまた異例の措置によって必要な資格が与えられて、大本山總持寺の後堂に就任することになるのです。

(つづく)

※ 1 大森禅戒(おおもりぜんかい) … 1871~1947。駒澤大学2代学長。
※ 2 大本山總持寺貫首… 總持寺(そうじじ)は横浜市鶴見区にある曹洞宗の両大本山の一つ。貫首(かんしゅ)は、大本山の住持(住職)のこと。
※ 3 伊藤道海(いとうどうかい) … 1874~1940。總持寺独住9世。


源流チーム 角田泰隆

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