SPECIAL 2019.09.17

ZEN, KOMAZAWA, ART

第3回となる今回は、京都の絵描きユニット「だるま商店」の安西さんと、本学仏教学部の村松先生が『禅×アート』というテーマで対談しました。
取材や研究を重ね、時には1つの作品に2年以上もの時間をかけるという安西さんの作品は、その極彩色の見た目のインパクトだけではなく、細部に工夫された“物語”も魅力です。
対談の最後には、本学文学部4年(JAZZ研究会)吉井さんのサックス演奏とコラボしたライブペインティングも披露していただきました。
※この対談は、2019年3月29日(金)に収録したものです。

「だるま商店」の由来

村松:今日は安西さん、お目にかかれてとても光栄です。

安西:ありがとうございます。楽しみにしておりました。

村松:仏教学部の村松と申します。よろしくお願いいたします。

安西:だるま商店の安西と申します。よろしくお願いいたします。

村松:だるま商店の安西さんということは、「だるま商店」というのが屋号なんですね。
何か由来があるんですかね?

安西:だるま商店というのは2人でやっておりまして。私と相方の島、2人組のアートユニットなんですけども。 まだ、だるま商店ができていない時だったんですけども、その時に苗場ってありますよね、スキー場の。あそこにドリカムのコンサートがありまして、そこへ行く時に高崎線というのに乗るんですよね。それで、その高崎線には「だるま弁当」という駅弁がありまして。ご存じなかったらあれかもしれないですけど、こういう赤いだるまの器に入ったお弁当があります。それを食べてる時に、「だるま商店にしようか」という話になりまして。

村松:駅弁が屋号になったんですね。

安西:そうなんです。駒澤大学出身で、達磨(だるま)大師さんがいらっしゃってというふうに言いたかったんですけども、残念ながらお弁当のほうに(笑)

村松:でもやっぱり、だるまといえば禅ですからね。

安西:17年前なんですけども、どんなユニット名にするかという時に、日本語で、平仮名でも分かりやすく、ということで「だるま」という言葉がすごくいいなって。今もいろんな方に「だるまさん、だるまさん」って呼んでいただけているので、すごくいい名前付けたなって思いました。

村松:だるま商店の安西さんということで、アーティストとして、京都で活躍されているんですよね。

安西:はい。今は京都におります。元々は関東の埼玉出身で、そこから駒澤大学に通っていました。だるま商店を東京で結成して、日本の古い物とか、仏教に関わることもそうですし、いろんなことを知りたいなと思って。それを絵にしたいとずっと思っていたので、それ(そういった文化)が今も息づいているのがやはり京都かなと思い、相方の島も向こうの出身ですので、何の心配なく向こうで生活をしながら勉強していこうということで、京都で始めたんです。

村松:さっきから気になっていたんですけど、そのお衣装というか、着物を着て。

安西:はい。着物を着ることがよくあります。絵の中に着物を描くこともありまして、やはり本物を知らないと描けないと思ったので、実際に着てみようと思って自分で着付けを覚えて。着物はどうなっているのか、昔の人はどういうふうに暮らしているのかということを自分で体感することで絵にリアリティーと言いますか、現実味を帯びさせるために勉強して、一丁前に着られるようになりました。

村松:素晴らしいですね。安西さんが普段描かれている絵は、どういうタイプの絵なんですかね?

安西:普段はいろんなタイプのものを描いているんですけど。まず、”コンピューターグラフィック(CG)”で描くというのが、僕らの絵の特徴かなと思っています。みなさん絵というと、岩絵の具を使うとか、ちょっと古いものをイメージされると思うんですが、京都に居るというのもあって、実は最新といいますか。現代の道具を使って、昔の日本だったり今の日本を描いていく、ということをやっております。

村松:後で見せていただくんですけれども、何か絵を描く時に心掛けていることとか、そんなことはあるんですかね?

安西:そうですね。何かおめでたいものを書く時は、おめでたい気分で。やっぱり真剣な、真面目なものを書く時は真面目なものをちゃんと勉強して、というふうに。シミュレーションしながら、自分がその絵の主人公になったつもりで描かないと、どこか心が入らなかったりしますので、そういうのはちょっと気にしたりとか。あと、いろんな所に行っておいしいものを食べたり、きれいなものを見たりして、絵に昇華していこうかなと思ってやっております。

村松:実生活の中で絵を描くような感じなんですね。

安西:そうですね。京都にはそういうものがたくさんありますので。

村松:お寺さんもたくさんありますからね。

いざ、安西さんの作品の世界へ

「極彩色吉野権現参詣曼荼羅(ごくさいしきよしのごんげんさんけいまんだら)」 蔵王権現の鮮やかな青と、吉野の桜のピンク色が目を引く。

村松:早速何枚か絵を見せていただきながら、お話を伺いたいと思うんですけども。
まず一番最初に見ていただく絵なんですが、すごいですね。ちょうど桜の時期(3月末)ですけど、きれいなピンク色の、桜色の絵。これは何を描いているんでしょうか?

安西:分かりやすく言えばピンクの桜と、上に仏様、「蔵王権現」というのですけど。これは何かといいますと、奈良県には吉野山という山があるんですけれども、吉野山というのはもう桜が華やかな、昔から桜といったら吉野というぐらいの観光名所で。そこに蔵王堂というお寺があって。 (蔵王堂のある)金峯山寺(きんぷせんじ)というお寺があって、そこに大きな大きな蔵王権現という仏様がいらっしゃる。それでその周りにこういう山があったり、こういう歴史が残っているよ、というのをひっくるめた、参詣曼荼羅(さんけいまんだら)といわれるものです。

村松:拝見させていただくと、蔵王権現がまさにあのまんまですよね。鮮やかな青で、右足を上げて、右手を上げて、左足で踏みしめているという感じ。これはやはり、ご覧になって描かれているんですよね?

安西:はい、実際に行ってですね。本当にこれは大きい大きい仏様なんですけど、足元で拝観できる所にちょっと囲いになっていて、1人ずつ入れる場所があるんですね。そこで拝むと見下ろすように仏様が、本当に憤怒の表情というか、本当に怒っている。なんだか懺悔の気持ちになるというか、自分の小ささを感じるような気持ちになったので、その感情を絵の中に出したいというのと、あとはこの時期(3月末)本当にきれいな桜が咲いていますので、それを表現した分かりやすい絵になっております。

村松:パッと見て目を引きますし、分かりやすいですしね。

安西:ありがとうございます。

村松:もう蔵王権現ってパッと見て分かるんですけれども、でもよく見ていると見入ってしまうというか。安西さんの絵の不思議なところは、どんどんどんどん絵の中に自分が入っていきそうな感じになるんですよね。いろんな細かいところが見たくなってくるんですが、何か見どころってありますかね?

安西:吉野といったらいろんな歴史がありまして。それを全部調べていって、『平家物語』の源義経が逃げた場所だったりとか、後醍醐天皇がここで都をつくろうとしていたとか、秀吉がここで茶会をしていたとか。そういうのを全部勉強したり、(実際に行って)そこで感じることで、全ての時代をこの絵の中に入れてしまおうと。今(現代)の、山登りしている人が中にいたりとか。

村松:見入ってしまいますよね。では、次の絵を見てみましょうか。

歴史的な面白さも描かれた地獄

「極彩色篁卿六道遊行絵図(ごくさいしきたかむらきょうろくどうゆうこうえず)」 十王の下には、亡者たちが痛み苦しむ地獄が広がっている。

安西:これは京都のお寺で「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」というお寺がありまして、そこに奉納した絵になります。2011年に奉納した絵で、これはちょっとパッと見どんな感じに見えるか分からないんですけども、左のほうが黒っぽい、ちょっと毒々しい色で地獄を表しているんです。

安西:右側のちょっと黄色く鮮やかになっているのは東方浄土といって、極楽とはまた違うんですけど、浄土の世界、あの世のきれいな場所ですね。薬師如来がいる世界を描いていまして、真ん中のアーチ、これが人間が住む世界を描いています。人間が生きて死ぬまで、そして死んでからどこに行くのか、どこに行きたいのか、というのがこの絵で表現したかったことです。

 

村松:右側に薬師浄土、真ん中に現世、左側に地獄が表現されているわけなんですね。では地獄をちょっと見てみましょうか。

安西:この絵も分かりやすく閻魔(えんま)大王がいて、周りに十王という閻魔大王含め10人の裁判官がいるんです。裁判官が裁いていくわけですね。7日ごとに死んだ人を裁いていって、生きている時にこんな悪いことした、こんな良いことした、というのをそこで裁かれるわけです。

村松:すごくリアルというか、怖いですよね。見ていると。

安西:この六道珍皇寺というお寺には、地獄行きの井戸というのが残っていまして。そこから小野篁(おのの たかむら)という平安時代の役人が、昼間は役人をやりながら、夜になるとその井戸から潜って地獄に行って、閻魔さんのお手伝いをしていた。閻魔大王の脇で秘書のような仕事をしていた、というエピソードが残っていまして。それで、その閻魔大王の隣で、黒い平安装束を着てあくせく働いてる様子を描いているんですよ。

村松:篁が、どこかに描かれているんですね。

安西:はい。ちょこちょこ何人かいるんですけど、見えますかね。あの黒いところであったり…。

安西:それで、その下がどーんと地獄の風景になってるんですけど。

村松:すごい…。

死者が「タスケテ」の人文字になっているユーモラスなシーンも

安西:実際、昔の地獄絵というのは、大工道具で鬼が人を切ったりとかするので、結構残虐なシーンが多いんですけども。今ってそんなに大工道具とか、なかなか見ないじゃないですか。まぁ、痛いのは分かるんですけども。昔はそれが身近な道具だったので、それがすごく痛々しく感じて、「もうここには行きたくないぞ」というふうになっていたので、現代の僕らでもリアルに分かる、「ちょっと痛いな」というのを描くために、キッチン道具でいたぶられてる絵になっています。

村松:キッチン道具ですか。

安西:はい、真ん中ら辺ですかね。ミックスジュースのジューサーにかけられたりとか、人がトマトジュースのようになってるんですけど(笑)。それでしたり、卵のスライサーってあるじゃないですか。あれの大きいやつで人がザクッと切られている、というような。やっぱりちょっと、うっと鳥肌が立つような…。

村松:鳥肌立ちます。家で大根おろしやって、指擦ったことあるんですよ。

安西:そうなんですね。

村松:ものすごく切って…。これ、絶対地獄行きたくないですよね。

安西:大根おろしも描いてありますので、もみじおろし(笑)

村松:そして、ここで篁が出てきている。

安西:そうなんです。ちょっと左の上ぐらいですかね…。ピンクの着物を着た女性の隣に、篁が黒い服で描かれていて。ちょっとこういう、「頼むわ」みたいな感じになっているんですけど、なんで地獄に女性が居るかと言いますと、実は、地獄にもいろんな地獄がありまして。殺人を犯したりとかいろんな罪があるんですけど、浮気をしたりとか、女遊びをし過ぎるのも地獄に落ちるんですね。

村松:怖いですね。

安西:はい。先生も気を付けていただいて(笑)

村松:気を付けます。

安西:それで地獄はですね、松の木といっても松の葉っぱが針の形をしてる木がありまして、その上に美女が座っているんですね。そこで美女が「おいでおいで」って言うと、男の亡者たちはその美女に会いたいがために、その木を登るんです。

村松:普通行きますよね。

安西:それで、葉っぱが全部トゲなので刺さってしまう。そうして頂上に行ったら、その美女は消えていて下に居る。下でまた「おいでおいで」って言うと、その松の葉っぱが上を向いて、亡者に突き刺さる…という、延々それが繰り返される地獄があるんですね。やはりそれは描かないと、男性諸君は分からないだろうなと思いまして。

村松:これは絶対みなさん浮気しませんよ。

安西:それは本当に、昔の形今も変わらずで。

村松:でもすごく、本当に美女ですよね。

安西:そうですね。架空の美女が普通の地獄絵では描かれているんですけど、ここでは小野篁の親戚をちょっと描いてみようと思いまして。その女性は誰なのかと言いますと、小野小町という女性なんです。

村松:そういう歴史的な事実も描かれていると、面白いですよね。では地獄ばっかり見ているのもあれなので、次に行きましょうか。

構想に2年かけた、インスタ映えの襖絵

「極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)」 小野小町の一生が華やかに描かれている。

安西:はい。これも、京都の山科にある「随心院」というお寺に奉納させていただいた襖絵(ふすまえ)になります。これは本当に女性らしい、華やかな、今でいうところの「インスタ映え」という言葉がぴったりかもしれないですけど、そういう襖になっていまして。先ほど名前が出た小野小町ゆかりのお寺になります。

村松:では、これも小野小町が描かれてる?

安西:はい。小野小町が晩年過ごしたという言い伝えの場所、そこが今お寺(随心院)になっていまして。そこの襖絵に小野小町の一生を描く、ということで描いた絵です。

村松:生まれてから亡くなるまでの一生を。

安西:そうです。小野小町は生まれて、天皇の妃(きさき)になるんですけど、天皇が亡くなってからは山科の、この随心院があった所で晩年を過ごす。そこでも美女だったので、いろんな男の方から言い寄られて、でもそれをみんな断り続けて…。結局は最後は1人で亡くなったという、ちょっと悲しいエピソードのある方なんです。

村松:左から右に一生を描いてるんですね。

安西:はい。一生が描かれています。

村松:これもきれいで見入ってしまうんですけれども、何か見どころみたいなものがあるんですかね?

安西:皆さん、ピンク色の襖絵を見たことがないと思うんですけど、これ、ピンク色というとちょっと今風ですが、平安時代は「はねず色」と言います。

村松:はねず色。

安西:はい。”赤っぽい紅”というんですかね、そういう色をはねず色と言うんです。こちらのお寺さんには梅園がありまして、そこの梅の色がはねず色なんです。普通梅の色というと白か赤。凛とした表情ですけども、ここの梅は八重咲きの牡丹のような華やかな梅が、今ちょうどこの時期(3月末)咲いていると思います。

村松:それも実際にご覧になって、梅の色を再現されたんですね。

安西:そうですね。やはりそのお寺さんの特徴をここでちょっと表現したというのと、あとは小野小町、かつてすごくきれいだった方が居たというのを、リンクさせて描いたものです。

村松:ではこの中に、小野小町がいくつか描かれているんですかね?

安西:生まれてから一生が描かれている中で、白くぽつぽつっと小野小町が雲に乗ってふわふわと飛んでるシーンがありまして。それは何かと言いますと、僕は勝手に呼んでいるんですけど、「幽霊小町」と呼んでいます。

村松:幽霊小町?

安西:はい。亡くなった小町が自分の一生を振り返っている、ということですね。これだけいろんな人から愛されたり、幸せなことがあって、私の人生は満足だったな、と。年老いておばあちゃんになってしまったけど、自分の人生は本当に豊かで、いろんな人から愛されてよかったなと、振り返っているというものでして。昔の参詣曼荼羅でも、こんな真っ白ではないんですけど、白装束を着た人がてくてくと歩いている絵が残っていまして。それは実は死んだ方で、その方がお寺のいろいろな所をまわることで、最終的に成仏するというストーリーに乗せて、分かりやすく真っ白で。

村松:自分の一生があって、それを、亡くなった小野小町がまた見直して。「あぁ、いい人生だったな」というふうにしているという。

安西:小野小町といいますと平安時代の美女なので、平安時代を描いた作品なんですけども、実は現代も入れてまして。現代のお寺でお祭りをしているんですけど、それを見ている観客が現代の人でして。ちょっとシルエットで分かりにくいかもしれないんですけど、携帯とか、カメラを持ったりして写しているんですね。

村松:小野小町を見ている人が、携帯やカメラを持っている?

安西:みんなこうやって写真を撮るというのは、今の文化じゃないですか。昔はそういうのはなかったわけで。それがあってもおかしくないかな、というので描いています。なのでこの絵が100年後とか残った時に、「この人は何をしているんだろう?」って、その時の人は思うかもしれないですけど。これは平成の世で、カメラを持って写真を撮るという文化があった、というのが表現できればいいかなと思いまして。

村松:時空を行ったり来たりしているんですね。

安西:はい。

村松:ちなみにこの絵は、何カ月ぐらいでお描きになっているんですか?

安西:これは構想に2年以上費やして、描くのは3カ月実際に筆を執りました。 

村松:描くのは3カ月?構想に2年もかけて?

安西:そうですね。歴史から何から調べないといけませんので、それはもう私もそうですけど、相方も分担しての制作になりますので。

村松:それだけの予習というか、勉強をされて描いてるということなんですね。

何万色もの色で描く現代の京都の極楽

「極彩色百舞妓おこしやす絵図(ごくさいしきひゃくまいこおこしやすえず)」 当麻曼荼羅をベースに、現代の京都が描かれている。

安西:奈良県の當麻(たいま)寺には「当麻(たいま)曼荼羅」という、仏様の極楽が描かれている大きい絵があるんです。これはその形を全く踏襲してといいますか、ベースを使いまして、仏様を全て京都の舞妓さん、芸妓さんに変えて描いてるという絵です。ですから現代の京都の極楽ですね。

村松:極楽ですよね。本来なら如来とか菩薩とか、天人が舞っている光景ですけれども、これ全部よく見ると女性ですよね。

安西:はい、全部女性なんです。

村松:ご本尊も。

安西:そうなんです。自分たちが味わっている京都の美しさ、京都の芸舞妓さんの美しさであったりとか、そういうのをフルに生かして仏の世界を描いてみたらどうなるかな、ということで描いた作品なので。

村松:やはり舞妓さんを描くにあたっては、相当な準備・予習をされたんですか?

安西:京都には五花街といって5つの街がありまして。祇園をはじめ、宮川町とか上七軒とか、みんなきれいな舞妓さん、芸妓 さんがいらっしゃるんですけども、そこそれぞれの踊りがあって。今この春の時期には「春の踊り」といって、みなさんが舞台で踊るイベントがあるんですけども、それもこの絵の中に登場していて。それで、普段から芸舞妓さんと僕ら知り合う機会も多いので、実際に着物を見せていただいたりとか、着付けを見せていただいたりとか、そうやってリアルの美しさというものを絵の中に落とし込んでいこうと。

村松:このご本尊の本来阿弥陀如来のところに芸妓さん、舞妓さんがいらっしゃいますけども。この着ている着物なんかはまさに?

安西:そうですね。舞妓さんが着ている「黒紋付」というものを表現したんです。舞妓さんの着ている着物は、草木が染めてあるんですね。花とか。あまりおどろおどろしいものは染めてないといいますか、動物もあんまり。チョウチョとか、かわいらしいものが染まっているんですね。それが、極楽ではその花々がかたどって舞妓さんの姿になったら素敵だろうな、というのがありまして、こういう絵になったんです。

村松:この着物もきれいですけれど、髪型とかも凝ってらっしゃる。

安西:私、学生時代から日本髪というものに興味がありまして。なかなか今はそれ見る機会がないと思うんですけども。実際僕は、資料でしか学生の時は見たことがなくて、それで、実際に結っている人が今はいないと思っていたんですね。もう江戸時代で廃れたものかと。でも京都に行ったら、舞妓さんは基本的に地毛で髪の毛を結うんですね。舞妓さんは髪の毛を伸ばして、自分の髪の毛で結うという文化をずっと継承しているんです。

村松:では、これも実際に舞妓さんの髪の毛結ってるところを見に行かれたりとか。

安西:実際に「髪結いさん」という方もいまして。専門の美容師さんではなく。いろんな種類の日本髪を結っているところを勉強したりとか、それが高じて、私は日本のモチーフにした絵を描くことが多いんです。昔の女性とか、時代ごとに髪型が違うので。そういうものを実際に結ってみたくなって、美容師さんにマネキンを買ってもらって、自分で結って実際に形を作って、それをデッサンに起こして絵を描いて…。

村松:自分で実際、マネキンで舞妓さんの髪の毛を結って?

安西:そうですね。

村松:他に何か見どころみたいなところがあったら。

安西:実際の当麻曼荼羅の絵でも、楽器が勝手にふわふわと浮いて奏でている、すごく心地よい空間が描かれていて。その当時の琵琶であったりとか、当時のいろんな楽器がふわふわと浮いている、というものなんですけども。ここはやはり芸舞妓さんの世界ですので、三味線であったり、鐘であったり、鼓であったり、和の楽器を入れて表現しました。

村松:確かに、本物の当麻曼荼羅も楽器が自ら空中に舞って音を奏でているんですけども、それが現代風に、舞妓さんが使う楽器を描いて浮かしているということですね。実物の当麻曼荼羅に引けを取らないものですよね。

安西:「極彩色」というものが、仏教に出てくる言葉であるということを勉強したんですけども、今は極彩色ってあまり言わなくて。「色鮮やか」とか「カラフル」とか、そういう言葉になっていますけど、昔もお寺さんというものは極彩色の空間で。宇治の平等院鳳凰堂の中とか。”極楽というものは、色がいっぱいある世界である”というものがありまして、それがこの絵の中にも、舞妓さんの着物の色や美しいところに反映されている、という。

村松:色鮮やかですけど、何種類ぐらいの色を使っているんですか?

安西:何種類ですかね。もう、何万色ですね?

村松:何万色?!

安西:はい。パソコンではそういう色が、再現できますので。

村松:本尊の目の前にある池。浄土の池って蓮池(はすいけ)なんですけれども、ここにもちゃんと蓮池が描かれていて、その蓮池に…人物ですかね?

安西:ええ。

村松:白い人物が居ますけれども、これは一体どういう?

安西:実際の絵では、亡くなった方が浄土に来た時に”生まれ変わってこの世界に来た”という表現なんですけど、僕らの絵はそれ(亡者)がちょっと頭が大きくて、みんなから宇宙人みたいな絵だと言われることがあるんです。

村松:宇宙人?

安西:実は僕は、学生の時から宇宙人をモチーフに絵を描くことが多かったんです。
それ(宇宙人)をこうやって実際に、重々しいテーマである仏教的な曼荼羅に入れるという、やっていいのか分からないようなことをしてしまっているんですけども。宇宙人は自分自身なのかなって、僕は思っています。

村松:安西さんが宇宙人?

安西:なぜかと言うと、京都に行ってもう15~17年。花街とか仏教のお寺さんとか、いろんな方と知り合って、いろんな奥の深い所に行くんですけども、実際私は京都人にはなれないですし、お坊さんにもなれるわけではなく、その世界をはたから見ている存在なんですね、あくまでも。俯瞰して見る、ではないですけれど、そういう存在の象徴なのかなと思っているんです。絵の世界の中で楽しんでいる、というか。

村松:安西さんの絵を見たら、宇宙人がもしかしたら居るかもしれないという楽しみがあるんですね。

安西:みなさんがそうやって探す楽しみ方もいいかなって。絵はやはり楽しまないと。実際にパッと見てきれいとか、感動していただくのもいいんですけど、細かいところを見て「あ、何かがある!」という、宝探しではないんですけど、そういう楽しみ方もいいんじゃないかなって。

村松:まさにそうですよね、絵を見る楽しみって。見ている人が楽しまなくちゃいけませんから。描き手が伝えたいものを自分で探し出そう、という楽しみがありますからね。安西さんの場合は”宇宙人”というのがポイントになってくるんですかね。

安西:あとはこれを見て京都に来ていただけたら、と。この絵をきっかけに、実際のものを見るということも面白いかなと思ってまして。昔の参詣曼荼羅という曼荼羅も、熊野の比丘尼(びくに)という尼さんが参詣曼荼羅を全国に持って行って、「熊野はこういう美しいところなんだよ」と、今の案内マップのようなものを持って絵解きをして、全国を巡っていた、ということを勉強しまして。そういうふうなことで京都に興味が出て、来ていただけたり、日本の文化とか仏教の美術とかそういうものに興味を持っていただけたらいいなって思います。

村松:昔も絵解きというものがあって、絵を見せながら地獄や極楽を説いてたということがありますけども。安西さんが描く時にも、この絵解きをイメージして描くということはあるんですか?

安西:そうですね。実際に居る時は説明をしたり、居なかったら勝手に伝わるところは伝わって、きれいだなとか、怖いなとか、いろんな感情をそこで出していただけたらいいなというのがありますね。

任運騰々の心がけで描き続ける

村松:たくさんの素敵な絵を見せていただきましたけれども、安西さんが素敵な絵を描かれる時に、何か座右の銘として持っている言葉とかありますか?

安西:いろんな好きな言葉があるんですけど、今好きな言葉というか、心掛けてる言葉は”任運騰々(にんぬんとうとう)”。漢字で言ったら「運」に「任」せて、とうとうの「とう」という字は沸騰の「騰」ですね。グツグツと気持ちが湧き出るといいますか、私も実際に絵を描いていると、「あ、これはこういうふうに描いてやろう」とか、「こういうアイデアを出して、こういうふうに組み合わせてみよう」というアイデアが、泉のようにどんどん湧いてくるんですね。それを書き留めていないと忘れてしまうので、その繰り返しがこういう細密画のひとつになっている。そうやって枯渇しないように、自分の思いのままと言いますか、そういうものがずっと続けばいいなということで、「任運騰々」という言葉を。

村松:思いながら描いてるんですね。

安西:はい。

村松:任運騰々って、達磨禅師のお言葉ですもんね。まさに禅の精神で、この素晴らしい絵を描いてるということになるわけなんですね。

安西:はい、ありがとうございます。

村松:すごいですね。ではこれから安西さんの絵を見る時には、任運騰々という言葉を思い浮かべて、「安西さん、楽しみながら描いてるんだな」ということ考えながら、拝見させていただきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。

安西:ありがとうございました。







安西 智

1981年埼玉出身。駒澤大学文学部国文学科卒業。幼い頃より独学で絵を学び、大学卒業後、絵描きユニット「だるま商店」を結成し、京都へ移住。大胆な筆使いと多色で緻密なグラデーションを得意とし、画材も墨からCGとさまざま。代表作に真言宗善通寺派大本山隨心院の襖絵、臨済宗建仁寺派大本山建仁寺塔頭六道珍皇寺の屏風、吉本興業のポスター、老舗菓子のパッケージ、全国各地の祭りの絵、など多岐にわたり、フランスやベトナムでも作品発表をおこなっている。

村松 哲文 教授

1967年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。早稲田大学会津八一記念博物館を経て、駒澤大学仏教学部へ。その他、日経カルチャー、東急セミナーBE、早稲田大学エクステンションセンターの講師などを務める。専攻は仏教美術史。主な著書に『かわいい、キレイ、かっこいい たのしい仏像のみかた』(日本文芸社)、『すぐわかる東洋の美術』(東京美術)など。

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