ZEN, KOMAZAWA, BREATHING
脳内物質セロトニン研究の第一人者である有田先生と、本学仏教学部の角田先生が『禅と呼吸』をテーマに対談しました。
「坐禅はセロトニンの働きをあらわしているものかもしれない」というひらめきから、坐禅の脳科学的な研究をはじめた有田先生。私たちの精神状態に大きく影響するセロトニンとは、一体どういった物質なのか。坐禅の呼吸法がなぜ精神疾患によいのか。また、「幸せ」についての考え方など、医学的・科学的観点から教えていただきました。
マルセイユでひらめいた”坐禅とセロトニンの関係”
有田:よろしくお願いします。
角田:先生、お久しぶりでございます。
有田:お久しぶりです。
角田:もう十数年前でございましょうか。先生が私の住職しているお寺の近くで研究会を開かれた時に、ご縁がありまして参加させていただいて。それからまた私のお寺にも、講演会にも、おいでいただいたことがありますけれども、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
有田:こちらこそ。
角田:私は今、道元禅師の研究を専門にしておりまして、主に思想的な研究をしているのですが、道元禅師の教えというとやはり坐禅でございまして、駒澤大学で坐禅の指導もしているわけですが、そういうことからこの坐禅、あるいは道元禅師の思想の研究をしている者として、有田先生のご研究にはたいへん昔から関心を持っておりました。
有田:ありがとうございます。
角田:今日はそんな坐禅について科学的・医学的な研究をされている先生からいろいろとお話を伺いたいと思います。
有田:よろしくお願いします。
角田:十年ぐらい前だと思いますけれども、先生が東邦大学の医学部におられる頃、私も被験者になりまして坐禅の脳波を測定していただいたことがありました。
有田:ありがとうございました。
角田:改めてでございますけども、先生のこれまでのご研究、プロフィールなども、お話しいただければと。
有田:私は大学の医学部で最初は内科医をやっていまして、そこで「睡眠時無呼吸」の研究をしている中で、「セロトニン」という脳内物質に出会いました。その時の研究は内科的な研究で、睡眠時無呼吸がどうして起こるかを研究していたら、“脳の中のセロトニンがちゃんと分泌しなくなるから”ということがわかったのですが、そうしましたら結構、世界のサイエンスの中で注目されて、それでフランスのマルセイユで行われた国際会議に呼ばれて、セロトニンの専門家がたくさん集まるところで発表する機会がありました。私の頭の中には「セロトニンの働きって何だろうか」という疑問がずっと長くあったんですけども、発表の前日に港町を歩いていたら、ひらめきみたいなものがありましてね。「坐禅ってひょっとして、セロトニンの働きと関係があるかもしれない」という一種のひらめきというか着想が出て、それから坐禅の脳科学的な研究が始まったという経緯があるんです。
学会から帰ってきて、いろいろな仏教の文献を読んだり、セロトニンの研究を総合的に調べると、確かにそうかもしれないという確信がだんだん出てきて、それを大学で約20年ぐらいかけて検証して、ある意味証明できたんじゃないかと思います。
70人を超える専門家による『呼吸の辞典』
角田:ところで先生は、セロトニンの研究では第一人者といわれている方でございますが、呼吸の専門家でもあられますね。私の研究室の蔵書に『呼吸の辞典』という辞典がありますが、これは有田先生が編集をされているものですね。
「呼吸」ということで、これだけ厚い事典があるというのはたいへん驚いたわけですけれども、先生はこの「呼吸」の研究の第一人者とも言えると思うんですけども。
有田:この辞典はこの中に約70人ぐらいの研究者が執筆してくれているんですけども、もちろん禅僧の方の坐禅のこともありますし、能楽やいろいろな日本の文化に関係したものや、医学的な方面、少し変わったところでは「しゃっくり」とか、「あくび」というものも実は呼吸の一形態ですしね。それから心がちょっと変わってくると過呼吸になってしまうとか、呼吸ってそういう意味ではものすごく広い部分がありますので、それだけたくさんの人に執筆していただいたという背景があるんです。
角田:我々、僧侶の世界でもやはり、呼吸ということは非常に重要でありまして、ある禅の指導者が言っているのですが、「私たちはみんな、おぎゃあと産まれたときから呼吸をしているから、呼吸のことを知っている。しかし、どのような呼吸をすれば身体がどのようになるのかを本当に知っている人はあまりいない。修行の中で、呼吸についてしっかりと会得しなさい」と。この呼吸のことについては、我々僧侶の世界だけではなくて、いろいろな分野で関わってくる、というわけですね。
「生きるための呼吸」と「脳や心に効く呼吸」
有田:まず言えるのは、私たちは生まれてから死ぬまで、夜も意識せずに呼吸をしていますから、この呼吸は間違いなく「生きるための呼吸」です。5分間でも呼吸が止まりますと死にますから、空気中の酸素を取り込んで、体が活動できるようにしてくれるんですが、これは無意識の呼吸なんですね。
そして、もう一つの呼吸が「脳や心に効く呼吸」。酸素を取り込むための呼吸とは別の呼吸です。例えばちょっと不安になると呼吸が速くなったり、それから今度は呼吸を整えると気持ちが落ち着いたり、平常心が持てたりします。そういう意味では心や脳に関係する呼吸と、生きるために必要な呼吸って、おんなじ呼吸なんですけど、ようく調べてみると全く違うんです。
生きるための呼吸というのは、いわゆる横隔膜が司る無意識の“吸う”呼吸になります。それに対して心に効く呼吸というのは、使われる筋肉が違うんですね。腹筋を使って“吐く”呼吸を意識して行う。そういう呼吸をただするだけで何が変わるかというと、大脳が変わりますし、心が変わりますし、体も変わってきます。そしてその背景には脳内物質のセロトニンというものが関わっています。そういうことが私たちの研究を含めてだんだん見えてきたことになりますね。
お釈迦様も苦行で体感した呼吸の大切さ
角田:その呼吸の大切さというものに、初めに気付かれたのがお釈迦(しゃか)様であろう、と。そんなことも少し聞いたことがありますが。
有田:そうですね、2,500年前に釈迦が弟子たちに伝えたいろいろな言葉の中に、「丹田呼吸法をしていると、心が変わるだけではなくて体も変わる」と。もちろん脳も変わるんですけれども、そういうことを私たち人類に教えてくれたのは、まさに釈迦が初めだと思うんですね。ですから「入息出息法」と言いますけれども、そういう呼吸法をやっているといろんなものが変わってくる。ただ単に酸素を取り込む、そういうことだけではなくて、私たちの心と体を整えてくれる一つのメソッドというか、「行」として呼吸がある。それを「呼吸法」と言いますけれども、確かにそれをやると、脳科学的に間違いなくいろんなことが変わる。それからセロトニンという物質も含めて変化してくる、ということが最近分かってきました。
角田:学生の時に教わったのは、お釈迦様は6年間苦行をされていたわけですけども、その苦行の多くの時間を呼吸に費やしたという話ですね。
有田:そうですね。
角田:息をずっと止めていると一体人間の体はどうなるのか、とかですね。「こういう呼吸をすると、こういうふうになる」ということを、自分の体で実験されたのがお釈迦様だっていうふうに、聞いたことがあります。
有田:私も釈迦のことを調べてみて、この人はすごい生理学者だと知りました。あのニーチェという哲学者が、「釈迦は生理学者だ」と言うぐらい、自分の体について恐ろしく知り尽くしていた。どうしてそういうことになったのかというと、6年間、山にこもって修行している間に、徹底的に自分にストレスを加えて、自分の体験としてどう心と体が変わるかということを、ある意味知り尽くしたからなのだと思います。ですから、そういう背景のもと、その呼吸法に出会っていますから、この呼吸法がもたらす体や心に対する洞察は間違ってなかった。そしてそれが今日まで真理として2,500年経っても伝わってきている。
セロトニンの分泌で顔つきが変わる?
角田:日本でも今、武道―例えば空手だとか柔道、剣道、弓道だとか、みんなやっぱり呼吸が関わりますよね。
有田:間違いなくそうですね。よくあるのは剣道、弓道がそうですし、それから合気道、空手、みんな呼吸が背景にあります。いろいろな動作は違ったとしても基本的に呼吸を「呼吸法」として意識したところに、武道の基本形がありますよね。
角田:先ほどセロトニンの話をされましたけれども、私も素人でよく分からないんですが、セロトニンというものは基本的にどういうものなんですか?
有田:セロトニンは、人間誰しも脳の中に作って分泌している物質だということが ― セロトニンの歴史は65年しかないんですけれども ― 脳科学でかなりはっきりと分かってきていましてね。脳の脳幹というところにセロトニン神経というものがありまして、この神経が脳全体にセロトニンを分泌して、いろんな機能に関与しているんですけれども、その働きは基本的には大脳の覚醒レベルの調節、及び心のバランスです。ですから平常心なんかにも関係しますし、それから痛みの調節にも関係します。それから姿勢、それから顔つき、そういうものもセロトニンがちゃんと出てると、いい状態になります。
角田:顔つきも変わってくる?
有田:そうです。お坊さんの皆さんは、顔つきが爽やかで背筋もぴしっとしていますよね。
角田:姿勢がいいと顔つきも変わってくる?
有田:両方一緒に起こると思いますね。なぜかっていうと顔の筋肉、それから背骨の脊柱をぴしっと伸ばしている筋肉は全部、セロトニンと関係している筋肉だと言われています。ですからセロトニンがちゃんとしていると、顔つきもしゃきっとしますし、姿勢も良くなる、と。まぁもちろん、もう一つの働きとして自律神経のバランスを整えてくれますから、そういう意味ではセロトニンがちゃんと出ると覚醒も良いですし、心のバランスも取れますし、それから自律神経的にも良いという。一言で言うと「元気の源」になるような物質が、私たちの脳の中にあるんですね。
ただ、このセロトニンというものは、夜寝てる間はほとんど分泌していないんです。覚醒すると分泌するようになっていますから、朝起きたときにセロトニンの分泌を促すようなエクササイズ、・・・・お坊さんたちは朝起きるとお勤め(読経)されますが、あれはまさにセロトニン活性のエクササイズだと私は思っていますけどね。
精神疾患とセロトニンの関係
角田:坐禅を我々がするというのも、やはりセロトニンと大いに関係があるんでしょうか。
有田:そうですね。坐禅をするとセロトニンが分泌されるということを、私たちはサイエンスで証明したのですけれども、何が起こるかというと、頭がすっきり目覚めますし、気持ちもポジティブになりますね。自律神経も整ってきます。そういう意味で、1日元気に生活ができる状況を整えてくれるのが、セロトニンというわけです。
角田:以前、セロトニンが鬱病ですとか、いろいろな精神疾患の治療薬に使われているような話も聞いたことがあるのですが。
有田:精神科で鬱病の治療薬というと、脳の中のセロトニンを増やすお薬が使われるんですよ。そういう鬱とか、強迫性障害、最近多いメンタルヘルスの問題は、いろんな理由で ― 特に大きなストレスがかかったり、生活習慣があんまり良くなくて引きこもっているとか、そういう状態になると ― セロトニンの分泌が悪くなってしまいますから、その結果としてメンタルヘルスの問題が出てくるんです。それを治すものはお薬でもあるんですけれども、例えば、丹田呼吸法みたいなセロトニンを増やすエクササイズで、ある意味自力でセロトニンを増やすようなことも最近は少し検討されていますね。
角田:坐禅をするとセロトニンも増えて、薬を用いなくてもそういう病気の改善にもつながると考えてもよいのでしょうか?
有田:いま行われているのは、禅寺に行って丹田呼吸法をするとか、ヨガをするとか。実はヨガも呼吸法なんです。薬を使わないでも自力である程度セロトニンを増やすことができるから、それらを積極的に活用して、自分の心と体を元気にする。そういうことが徐々に見えてきてはいますよね。
椅子坐禅のすすめ
角田:坐禅をするとセロトニン神経も活性化されるということですが、そうすると、一般の人でも「坐禅をしたい」っていうような方もおられると思うのですが、なかなか正式な坐禅となると難しい部分もあるので、今は「椅子坐禅」というものを宗派の方でも盛んに勧めております。
椅子に腰掛けた「椅子坐禅」の場合は、背もたれに、背中をもたせ掛けないようにして、正式な坐禅と同じように背骨を真っすぐにして座わります。
そして手は、右手を下に、左手を上にして指の部分を重ね合わせ、親指をくっつけて、これを腿の上に置きます。そして背筋を伸ばして顎を引き、視線は45度ぐらい下に下ろして、目は閉じないようにします。
呼吸は先ほどの「丹田呼吸法」です。道元禅師は『永平広録』という文献の中で、呼吸は鼻から息がすーっと入ってきて、丹田*というところに入っていくのだとおっしゃっているのですが、(*丹田:おへその3寸下にあるといわれているところ)ある坐禅の指導者はその呼吸法を「鼻から丹田に息がスラスラと入っていき、そして丹田から鼻にスラスラと抜けていくようにする」という表現をしております。そのとき、下腹部が膨らんだりへこんだりするんですね。
丹田呼吸法のメカニズム
有田:その呼吸法を医学的に解説しますとね、まず、空気が入っていくのは肺なんですよ。だから普通の呼吸だと、下腹部は動かないんです。肺とおなかの間にある横隔膜が動くんです。それが生きる呼吸です。ところが、丹田呼吸法というのは丹田、すなわち下腹部が動く呼吸なんです。これって意識しないとできないんです。下腹部が動くということは、吐く時に下腹部の腹筋がぎゅうっと内臓を圧迫します。すると空気が出ていくんです。そして吸う時には、下腹部のへこんだ分が、ちょうど鞴(ふいご)が膨らむように上がってくるだけなんです。
こういう呼吸法をするだけで何が変わるのかっていうと、セロトニンという特別な「元気の物質」が出てくる、ということなんですね。ですからこの丹田(下腹部)を動かすということは、要するに私たちの脳に効く、脳を変える、そういう働きをしているんだと思いますね。
目を開けて坐禅することの意味
角田:先ほど我々は、目を閉じないで坐禅をするとお話ししたのですが、仏教の過去の伝統でいくと目を閉じてする坐禅もあったんです。しかし、道元禅師は目を開けてしなさいとおっしゃったのですが、この目を開けた状態と閉じた状態というのは、脳波とかセロトニンに関係があるのでしょうか?
有田:私たちの心を乱すような状況で呼吸法をやっても、実はセロトニンって増えないんです。ですから、満員電車の中で呼吸法をやっても、あまり効果はありません。ところが、お堂など静かで集中できる状況だと、目や耳からの刺激もほとんどないですから、今の呼吸法をやると脳の中のセロトニンが増えるというふうに私たちの脳はできています。
そこがポイントなんですが、心をかき乱すもう一つの要因として、心の中から出てきてしまう「雑念」というものがあるのですが、これって目を閉じると意外と出てきやすいものでして、ですからそういう意味では、目を閉じてしまうと中々集中できない、ということが言われていますね。
ただ、別に目を閉じても集中して呼吸法を継続できる禅僧の方もたくさんいますから、必ずしもそうする必要はないと思います。集中した呼吸法をするための一つの方法というふうに私は考えています。
角田:道元禅師も坐禅の仕方を説かれている中で、やはり「静処よろし」(静かな場所が良い)とおっしゃっていますしね。
あと「飲食節あり」(食べるのもいわゆる腹6分目ぐらいがいい)と、瑩山禅師もおっしゃっているのですが、やはり飲食なんかも関係してくるということでしょうか?
有田:そうですね。坐禅をやるのも早朝が多いですからね。食べる前ということはよくあるでしょうけれども、やはりそういうふうに五感を通じて乱すもの、食べるということによって体の中が落ち着かなくなる、そういう状態ではやらないほうがいいでしょうね。呼吸だけに集中できる状況である一定時間、例えばお線香1本分そういうエクササイズをすると、脳の中に特別な物質が出てきて覚醒状態が変わり、平常心が取れるとか、そういうことになるのだと私は考えていいと思います。
東邦大学での被験の思い出
角田:もう何年か前になりますけれども、東邦大学の医学部で私が被験者となって、坐禅とかあるいは声明とか御詠歌をお唱えする時の脳波がどのように変わるのか測定したことがありましたね。
有田:私の研究室で先生に、確か最初坐禅をしていただいて、その後声明を唱えていただきましたね。あの時のデータが素晴らしかったんですよ。声明というのはもちろん、お坊さんがやる一種の呼吸法だと思うんですね。歌を歌う呼吸法も、坐禅の呼吸法も、実は脳の中で起きることは同じなんですよ。それで、先生の場合には声明がものすごく明確に、脳の変化に出ていましたので、結構普段からやられているのかな、と思いましたね。
角田:坐禅をしている時はないのですが、声明とか御詠歌の場合は、歌っていて何かこう気持ちが良くなるということがあるんです。やはりこれもセロトニンと何か関係があるのでしょうか。
有田:間違いなくそうだと思います。要するに頭が鎮静されてすっきりするだけではなくて、気分の点でですね。ネガティブな気分が解消されて、どちらかというとポジティブになってくる。先生の場合、声明がものすごくそういう状況をつくりやすい、ということですね。おそらく、セロトニンの分泌がそれだけ多いのではないかと思いますけれども。
角田:あの時はご法事で唱える追善供養御和讃を唱えたのです。それを私が唱えている時に先生が「これはすごくアルファ波が出てる」とか何とか言われたのを覚えています。
有田:そうです。間違いなくすごく脳波が変わったので。そういう意味では、まあ、ある意味驚きだったんですね。
角田:その時の御和讚をお唱えしてみましょうか。
<歌唱開始>
♪♪ 唱えー奉る追善供養御和讃にー。玉と結びて~♪♪
<歌唱終了>
ちょっと今緊張しておりまして声が上ずってしまいましたけど。
有田:いや、でも、僕は聴いてるだけで和んでくるから。
角田: 同じ御和讚の中でも3フレーズ目が一番盛り上がりましてね。同じ歌ですからカラオケなんかもいいんですかね。
有田:もちろんです。歌謡曲というのは、おそらく御詠歌からだんだんと一般の人に広まったのではないかと思うんですけども。私のところで声楽家の方に歌を歌ってもらって、セロトニン活性が起こるかを調べたことがあるんです。間違いなく増えるんですよ。特に童謡とかね、比較的馴染みのある優しい歌は結構良かったです。
だから私は「呼吸法はちょっと」っていう人には「じゃあ、一人でカラオケしてみたら」って勧めます。セロトニンが増える一つのエクササイズだというふうに私は考えていましてね。実際に、メンタルに病んだ人には結構効きます。
生命活動に直結したリズム
角田:以前、先生からお話を伺った時に、カラオケもいいし、歩くこともいいし、それから、外国の野球選手がチューインガムを噛みながらバッターボックスに立つのをみたことがありますが、それもいいっていうふうなお話を聞きましたが、それはどういうことですか?
有田:基本的に、全部「リズム」の運動なんです。
角田:へぇ、リズム。
有田:しかも、“生命活動に直結した”リズム。呼吸も、呼吸のリズムの運動。歩行も、歩行のリズムの運動。ガム噛みも咀嚼のリズムの運動で、これを集中してやると同じように脳はセロトニンを増やしてくれるんですよ。だからもちろん呼吸法っていうのはいいんですけれども、それ以外のもう少しやりやすいものとしてはウォーキングでもいいですし、カラオケでもいいです。ガム噛みでもよいというデータは、私たちのセロトニン研究では得られています。
角田:例えば我々は坐禅となると大体40~50分することになるのですが、呼吸のリズムを繰り返してそういう状態になるためには、ある程度時間が必要になるのでしょうか?
有田:大体5分ぐらいから、脳には変化が起こりますね。
角田:そうですか。
有田:ですから最低5分。あんまり長くても駄目で、一般の人は20~30分というのがいいところですね。あまり無理しないというのが重要です。疲れるほどやっちゃうと、逆にセロトニンの活性は落ちてしまうと考えたほうがいいです。
角田:先生のところで被験者となって測定をした時、最初に血液を採って、そして坐禅なら坐禅をして、また終わってから血液を採って、というような測定方法だったんですが、私の場合は血液じゃなくて尿で測ったと思うんですが。
有田:脳の中のセロトニンを測定したいのですが、健康な人の脳から物質を採るということはできないので、私たちはそういうエクササイズをする前に採血をして、その後でもう一回採血をして、後のほうが増えた場合は脳からセロトニンが出てきたっていうように推定をするんです。血液に出てきたものは最終的に尿に出ますから、少し時間が遅れますけれど、尿で2回ないしは3回測って、脳の中のセロトニンの変化を推定するということもあります。
角田:坐禅なり、カラオケでもウォーキングでも、そういうことをするとセロトニンの量が増えていくんですね。
有田:増えてきます。
セロトニンも、「継続は力なり」
角田:でもやはり、それをやめるとまた減っていくわけですよね?
有田:そうですね。大体30分~1時間で元のレベルに戻ってしまいます。
純粋にセロトニンが増えた効果、例えばすっきり感とか、心のバランスとか、自律神経の調子がいい状態というのは、せいぜい1時間ぐらいしか続かないんです。
角田:修行というものは毎日繰り返し続けていくものですが、セロトニンもエクササイズを繰り返し行うことで何か変わっていくものがあるのでしょうか?
有田:そこが一番重要ですね。要するに、せいぜい30分~1時間しかセロトニンが増えた状態が続かないんだったら、残りはどうするんだ?また繰り返すのか?というとですよね。
実は1日、例えば30分程度のセロトニンが増えるエクササイズを約3カ月継続しますと、セロトニン神経というものは鍛えられるんです。最低3カ月ですけれども繰り返せば、セロトニン分泌の高い脳にだんだん変わっていきます。
ですから「継続は力なり」で、お坊さんたちは毎日お勤めをされている。あれが1年2年と続いていく間に、セロトニンの分泌の仕方がだんだん上がっていく。だからそれだけ姿勢も良くなるし、平常心も強くなるし、覚醒状態もすごくいい状態が出てくるというのは、そういう効果だと考えていいと思いますね。
角田:やはりその修行、たとえば坐禅なら坐禅を続けていくことによって、精神が安定するとか、平穏な状態を保てるような人間になっていくということになるわけですね。
有田:だと思いますね。先生のご専門である道元禅師の「只管打坐」という、ひたすら呼吸法を続けることにものすごく修行の意味があるという教えは、まさに脳科学的にも証明できますよね。
高僧は惑わされない
角田:やはり修行を積んで熟達した人というのは、非常に安定している感じがするんですよね。例えばいろいろな状況になっても、冷静に対処していけるとか。
これは話が少し違うのですが、この駒澤大学には坐禅を始めた澤木興道という老師がいるのですが、この澤木老師の坐禅は、次の鐘が鳴るまで絶対に動かないっていう坐禅なんです。例えば夏なんかは、蚊が飛んできて、止まって、刺して、血を吸っても動かないんです。我々はもう蚊がここに止まったらすぐ追い払いたくなりますし、「あ、かゆい」と思うものですが、それをそのままにしておけるというのは、非常に心がコントロールされているのだと思います。
また、上座部仏教のお坊さんなんかの話では、坐禅をしていると足が痛くなるものですが、そのお坊さんはその足の痛みを冷静に観察するというんですね。「あぁ、、足が痛くなってきたな」と。「痛みっていうのは、こういう感覚なんだな。これをこのまま放っておくと、どうなるのかなぁ」というふうに。まぁ、これも自分を観察する修行法の一つなのですが、やはり、そういうものを客観的に感じることのできる力が、何か備わっていくものなのでしょうか?
有田:そうですね。「明鏡止水」とかいわれますけれども、要するに感覚が非常に安定して、外から入ってきたいろいろな刺激、混乱を受け流し、心を鏡のように静かな状態に保つことができるということは、実はセロトニン神経の働きとして説明できるんですよ。ですからそういう高僧の方の状態というのは、非常にセロトニンの分泌の高い脳を持った人が感じる状況だと説明できますね。
角田:仏教では「悟り」ということを言いますけれども、その悟りというものは結果として、「あ、このとき悟った」というようなものがあるのかもしれませんけれども、そのような「悟り」とは別に“いろいろな外部の環境をありのままに受け止めて、それらに心が動かされないような状態”ですね。それが「悟り」の状態であるということもできると思います。
有田:実際に先生たちお坊さんはそういうふうに感じるわけですけれども、それを脳科学的に説明すると、外部から入ってくる感覚刺激によっていちいち心が乱されない、いわゆる平常心の状態をつくるというのは、実はセロトニンの作用だというふうに考えられますよね。ですから高僧の方はそのようにいろいろなことに惑わされないのかもしれない。
痛みをもコントロールするセロトニン
有田:セロトニンにはもう一つ、痛みをコントロールしてくれるという効果があります。お坊さんが残り火の上を歩いてパフォーマンスしたり、滝に打たれたり、かなりのストレスをかけたりしますが、意外とあれってへっちゃらなんですよ。あれは痩せ我慢をしているわけではなくて、実はセロトニンの働きが強いから、痛みをコントロールする働きが上がっているんですよ。一種の鎮痛剤みたいな働きです。ですから普段からセロトニン活性のエクササイズをやっている人たちというのは、あんまり無理をしないでも痛みを抑えられるという、そういう状況がつくれますね。
角田:そうすると、一般の人が神秘的な体験をしたり、驚異的な修行を行えるのも、科学的にはそういうような形で説明ができるということですね。
有田:修行を積んだ人でないとおそらくできないんですけども、修行を積んでセロトニンのレベルが高くなったお坊さんたちは意外と苦もなく自然にやってのけられる、そういう状況がつくられているって、考えていいんだと思いますよ。
角田:私どもは今まで、坐禅をするということが非常にいいんだということは感じていても、それをなかなか証明してくれるものがなかったんです。道元禅師も坐禅の計り知れない功徳を語っておられますが、、最近は先生たちのような方々が医学的・科学的に究明してくださるというのは、とてもありがたいことでございまして、ほんとに感謝する次第です。
有田:私たち現代人はありがたい言葉よりは、サイエンスでこうですよって言われた方が信じてしまいますからね。ただ私もこうやってサイエンティストとしてやってみると、「あ、やっぱり本当なんだ」っていうのがデータで出てきますから、説得性という点では僕は十分あると思います。自分自身が納得していきますから。
満足する、ということ知る幸せ
角田:最後に、先生はこれまでさまざまなご研究されてきたわけですけれども、何か禅語でもどんな言葉でも、先生が心に置いている言葉というものはございますか?
有田:「吾唯知足」(吾れ唯だ足るを知る)ですかね。
角田:ほう。
有田:私の脳科学の研究で「人間の幸せ」について考えますと、やはり何か夢を持って実現するということが、人間の幸せにつながります。実はそれって、セロトニンではなく、脳の中のドーパミンという物質によるものなんです。
ただ、「夢を実現して万歳!」という幸せ感というのは、意外と長く続かないものですし、依存的にもなるんです。次から次に欲しいものを手に入れないと満足できない。そういう脳を私たちは持っているんです。宗教の言葉でいわゆる「貪・瞋・痴」の、あの「貪(むさぼり)」になりますけれども、あの状態というのは、実はこれもドーパミンによって得られるもので、その働きを抑えてくれるのが、実はセロトニンなんです。
ということは、セロトニンが活性されるような日常生活を送ってると、そういう、むさぼった幸せになるのではなくて、今の状態をありのまま受け入れて、それを良しとして「幸せ」を感じて生きていく。それがまさに私はセロトニンのある生活だと思うんですけども、それが今言った禅語の「吾唯知足」(吾れ唯だ足るを知る)につながるのではないかと、そういうふうに感じていますね。
角田:その「吾唯知足」というのは、“満足することを知る”というような意味ですね。
有田:そうですね。満足することを知るんですね。
角田:今日はいろいろと、先生の貴重なお話をお伺いできまして、ありがとうございました
有田:こちらこそどうも。
有田 秀穂
セロトニンDojo代表
医師(メンタルヘルス・心のリハビリ)
医学博士
東邦大学 医学部 名誉教授
脳生理学者であり医師。専門領域は呼吸の脳神経学、セロトニン神経の機能と活性法、坐禅の脳科学。『呼吸の事典』(2006/朝倉書店)編集。『脳からストレスをスッキリ消す辞典』(2015/PHP研究所)ほか、著書多数。
角田 泰隆
駒澤大学 仏教学部 禅学科 教授
長野県伊那市 常圓寺 住職
駒澤大学禅ブランディングプロジェクト「曹洞禅とその源流」研究チームリーダー。専門は曹洞宗学。著書に『道元禅師の思想的研究』(2015/春秋社)、共著に『禅と林檎-スティーブ・ジョブズという生き方-』(2012/宮帯出版社)等。
SPECIAL
ZEN,KOMAZAWA,MANAGEMENT
第5回はゲストに小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソンさんを迎え、禅文化歴史博物館の飯塚館長、経営学部の青木先生の3人で『禅とマネジメント』をテーマに鼎談を行いました。 禅においても経営においても、私たちが考えるべき"本質"とはなんなのか。アトキンソンさん視点で伝統文化のあるべき姿についても・・・
2020.08.07
SPECIAL
ZEN,KOMAZAWA,MOVIE
第4回はゲストに映画監督の大森立嗣さんを迎え、永井総長、各務教授の3人で監督の作品を中心に『禅と映画』をテーマに鼎談。 本大学のOBである大森監督は、学生時代の環境がとても有り難かったと振り返ります。 監督の作品と禅を絡めながら、人生や人の死について考えさせられる時間となりました。 ※この対談・・・
2020.03.05