STUDY 源流 2020.06.10

禅の歴史 ― 曹洞禅の源流を尋ねて(15)

鏡島元隆博士「禅学概論講義ノ-ト」より

 慧能が中国禅の大成者といわれる点は二つある。まず第一に、慧能によってインド禅と異なる中国禅が確立されたことである。達磨によって中国に伝えられた禅は、中国では「一行三昧」(いちぎょうざんまい)として伝えられたのである。「一行三昧」とは静かな場所で心を乱さず、じっと心を据えて仏を想い浮かべて坐禅することである。インドでは、それは悟りに到るに欠くことの出来ない修行と考えられたのであって、達磨から神秀に至る系統の禅はこのような「一行三昧」を受け継いだものである。しかるに慧能はこのような「一行三昧」を否定したのである。慧能は、坐禅は日常生活に背くものではなく日常生活と結び付いたものでなければならないとしたのである。慧能は坐禅を規定して、あらゆる生活においてわれわれの本性を観ることであると述べている。したがって、慧能からは坐禅の意味があらゆる生活の上に拡充されたのであって、そこにインド禅と異なる中国禅の特色がみられるのである。
 第二は、慧能によって、禅の精神は経典や文字によらない立場が確立されたことである。達磨から五祖弘忍に至るまでの禅は経典や文字を借りて禅の宗旨を悟る立場であったが、六祖慧能に至ると「不立文字、教外別伝」*1(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん)の禅の立場が開かれたので、したがって禅は達磨によって中国に伝えられたのであるが、それが中国禅として中国の特色が発揮されたのは六祖慧能以後であって、その意味で六祖慧能は中国禅の大成者と呼ばれるのである。

*1…文字を立てず、教のほかに別に伝う。釈尊の根本精神は教典(文字で書かれた教え)の上にあるのではなく、教典は〝月をさす指〟にすぎず、このほか別に心から心へと伝わるものがあるということ。(8)を参照。

(つづく)

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